おんな城主直虎の史実に迫る

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おんな城主直虎のあらすじ 感想

謎に包まれた井伊直虎の史実とウソ・ホント

史実の井伊直虎は女性、戦国時代に生きた女城主で武将です。本名はおとわ、別名を次郎法師、通称女地頭とも呼ばれたと言います。

井伊直虎は勇猛果敢な戦国武将だったのか?

 

華々しい武勇伝を想像しがちですが、どうやらウソ。

数々の戦いで甲冑に身を固め自ら剣をとったかも知れませんが、詳しい記録はありません。実際は、頭が良く、先見の明をもった優秀な領主・外交家だったようです。

 

一方で、実に女性らしい一面も・・・

 

以下で詳しく説明していきます。

徳川四天王「井伊直政」の養母

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井伊直虎の生年は不明ですが、井伊直盛の子として生まれ、天正10年8月26日(1582年9月12日)に没しています。

生年不詳のため何歳で没したか定かではありませんが、一説によれば40代の後半で50歳前であったとも。

(2017/1/追記)2016年12月には、『井伊直虎は女ではなく男だった』という資料が発見されたとの報道がありました。
「井伊直虎は今川家の重臣の息子だった」との事ですが、これは、井伊家の子孫、井伊達夫氏が館長を務める、京都の井伊美術館から公表されたもの。謎に包まれた女城主直虎の人物像に一層ロマンを掻き立たせるエピソードです。

本能寺の変の三年後に世を去る

直虎の没年は、くしくも織田信長が没した「本能寺の変」(1582年6月21日)の三か月後となっており何か因縁めいたものを感じさせますが、直接の関係はないようです。

幕末の大老・井伊直弼に繋がる徳川四天王、「井伊直政」は直虎の養子です。

余談ですが、織田信長の命令で命を落とす徳川家康の正室・築山殿は直虎の伯従母(いとこおば)にあたります。

photo by: hamamatsu-daisuki.net

井伊直虎波乱万丈の人生

生涯独身を貫いた直虎

おとわは父のいとこにあたる井伊直親と許婚(いいなずけ)の間柄でしたが、直親の父が主君・今川義元への謀反の疑いをかけられて誅殺させられると直親も逃亡し行方不明となってしまいます。結婚の夢破れた「おとわ」は龍潭寺で出家し次郎法師と名乗ったと言われます。

再会した許婚(いいなずけ)は結婚していた!

ほどなく行方不明だった許嫁の直親が井伊家の後継者として井伊谷城(いいのやじょう)へ戻ってきますが、この時直親はすでに結婚していたため、「おとわ」は婚期を逸しこの後一生独身を貫くことに。

おんな城主・井伊直虎の誕生

井伊家に降りかかる不運の連続

おとわ」が出家している間、井伊家には不幸が相次ぎます。

今川義元に仕えていた父の井伊直盛が、織田信長との「桶狭間の戦い」で戦死し、井伊家の後継者であった直親が家臣の讒言で今川家に誅殺されるという事態が発生、幼年であった直親の遺児虎松(井伊直政も身を隠さざるを得なくなります。

こうして、井伊家は存亡の危機に瀕することに。

井伊家のピンチヒッターに

この事態を乗り切る為、龍潭寺の南渓和尚は一計を案じ、次郎法師おとわ)を井伊谷上の城主として還俗させ、井伊直虎と名乗らせたと言われます。

しかし、直虎はあくまで幼い井伊直政の後見人としての中継ぎであり、正式な当主ではありませんでした。

女地頭・井伊直虎

領地経営に手腕発揮

井伊直虎は通称「女地頭」(女領主)と呼ばれますが、困窮する農民を救うため徳政令(借金の帳消し)などを行い領地経営にも力を尽くしたと言われます。

photo by: kouzanbou.sakura.ne.jp

女武将としての活躍

井伊直虎は、平安末期の巴御前のように華々しい女武者ぶりを発揮したのでしょうか?

井伊直虎は女武将というより内政・外交の人であったようです。

優れた外交力を発揮

ながく井伊家の内政安定の障害であった家老・小野一族小野政直小野政次親子)への牽制と追放を今川家、徳川家との外交で実現させたこと、徳川家康の天下人としての素質を見抜き養子・直政を家康に臣従させ、後の井伊家の繁栄の基礎を築いたことがその表れと言えるでしょう。

むろん織田信長と組んだ徳川家康の井伊谷城侵攻、武田信玄の遠江侵攻による井伊谷城攻めの際には自ら武器を取って戦ったかも知れませんが歴史的には定かではないようです。

アニメゲームでは男性の名前を名乗った女武将として活躍し、歴女たち女性ファンも多いようです。夢とロマンを感じさせる内容ながら、あくまでフィクションに過ぎないと思われます。

井伊直虎の功績

抜群の先見の明

後に徳川四天王と呼ばれる井伊直政(幼名虎松)を立派な武将に育て上げたのが直虎の最大の功績ではないでしょうか。

井伊の赤鬼の母

武田家が滅亡した後、家康の信頼を得た直政は井伊の赤備えと言われる武田家伝統の兵団を受け継ぐことになるのです。

その為か、井伊直正は通称「井伊の赤鬼」とも呼ばれていました。

photo by: ryotanji.com

30万石大名・井伊家飛躍の救世主

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さらに、本能寺の変勃発時の家康の伊賀越え脱出劇、関ケ原の戦いでの大活躍などが評価され、井伊家は30万石の大名に封じられるきっかけをつかみます。

 

徳川家の危機に就任したと言われる大老職につけるのは井伊・酒井・土井・堀田の4家に限られたと言いますから、井伊家にとっては大きな飛躍。

 

これこそが井伊直虎の「先見の明」が放ったホームランでした。

直虎の静かな晩年

直政の家督相続を見届けた直虎は、井伊谷の妙雲寺で静かな余生を送ったと言われます。

愛した人の隣で永眠

「井伊直虎(次郎法師)(右側)と 井伊直親(左側)のお墓」 via 井伊直虎(次郎法師)|井伊家の歴史|遠州の古刹 龍潭寺

井伊直虎の没年は先述した通り1582年ですが、井伊家の菩提寺である龍潭寺で許婚だった直親の隣で眠っています。

あくまで想像ですが、直虎が生涯独身を貫いたのは、心から直親を愛していたからではないでしょうか?・・・女性としての直虎が垣間見えるようです。

戒名は妙雲院殿月船祐圓大姉。

 

井伊直親の墓はほかにもあった!

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