井伊直虎と事件・年表(1)

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おんな城主直虎のあらすじ 感想

井伊直虎にまつわる人物・事件・年表(おんな城主として歴史に登場)

井伊直虎は、戦国時代に生きた女性の領主で、「女地頭」とも呼ばれていました。

武家社会では、女性は父親・夫・息子と生涯にわたって男性に尽くすのが世の常とされていたため、井伊直虎のような生き方をした女性はごく少数です。

参考記事:井伊直虎と女武将~歴史秘話

関連年表

生年不詳:井伊直盛の娘(おとわ)として誕生

1582年:井伊谷(いいのや)で没す(本能寺の変の三か月後)

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今川氏の軍門に降る

井伊氏は遠江の井伊谷(いいのや)を本拠地にしていましたが、当時中部地方で猛威を奮っていた今川氏の勢力に吸収されました。

関連年表

1340年:井伊城(三嶽城)落城…南北朝時代

1513年:井伊城(三嶽城)落城…戦国時代

井伊氏は、今川氏に二度支配を受けています。 一度目は南北朝末期に宗良親王(南朝)を封じて抵抗した時、2度目は戦国時代に今川氏が遠州侵攻した時です。

織田信長「桶狭間の戦い」と父の敗死

元々は直虎が家督を継ぐ予定はありませんでしたが、父の井伊直盛が「桶狭間の戦い」で今川勢の先鋒として出陣、織田信長に敗北し討ち死にしてしまいます。

この戦いで今川義元は敗死しますが、後を継いだ今川氏真は直盛に替わり家督を継いでいた元許嫁の直親を謀反の罪により手にかけたため、直虎が井伊家の家督を継ぐこととなりました。

井伊家の当主として転身

当初は女性「おとわ」として、その後は男性名の「次郎法師」「直虎」を名乗るようになったのは、女性蔑視の風潮からそうせざるを得なかった為と考えられています。

関連年表

1560年:桶狭間の戦い、父・井伊直盛

1561年:井伊直親の子・虎松(後の井伊直政)誕生

1562年:井伊直親

1565年:おとわ(次郎法師)、井伊直虎と名乗り地頭(領主)となる

家老・小野政直、政次親子の裏切り

小野家は井伊氏の家老を務める重臣でありなりながら、主家に対し謀反や裏切り行為を繰り返し横暴を極めたと言います。

一時は小野政次の裏切り行為により井伊谷城を失いますが、後の天下人・徳川家康を後ろ盾に取り返し、徳川氏の一門となります。

小野政直

おとわ井伊直虎)」の父・井伊直盛には跡継ぎの男子がおらず、伯父・井伊直満の子、亀之丞(井伊直親)を「おとわ」の婿養子に据えようとします。

 

この事に不快感を感じた小野政直は、井伊直満とその弟に謀反の濡れ衣を着せ今川義元に密告し、二人を自害に追い込みます。

 

そのため、今川義元から謀反の疑いを掛けられた井伊直満と井伊直義の2人は、1544年12月23日に自刃しました。

小野政次

小野政直の後を継いだ小野政次は井伊直盛が桶狭間の戦いで倒れ、井伊直親が当主となると、今川義元の子・氏真に謀反の疑いを密告します。

こうして井伊家は立て続けに当主を失う事に。

井伊直虎、元許嫁の仇を討つ

小野政次は、直親の子・虎松(井伊直政)の命を付け狙いますが、徳川家康をバックにした井伊直虎によって捕えられ処分されます。

関連年表

1544年:許婚直親の父・井伊直満自刃、直親逃亡

1562年:井伊直親没

1568年:小野政次没

武田信玄の侵攻

1572年には武田信玄の侵攻により井伊谷城を失ったあと浜松城に逃れ、徳川家康も三方ヶ原の戦いで敗れましたが、武田信玄が病に倒れたため九死に一生を得ています。

関連年表

1572年:三方ヶ原の戦い、徳川家康敗北

1573年:井伊谷城落城、浜松城へ逃れる

穏やかな晩年を追える

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井伊直虎は、織田信長が本能寺の変で急死してから3ヶ月ほど経った1582年8月末に世を去ります。

元許嫁の遺児で養子の直政が徳川家康の信頼を得、井伊家の行く末が安泰となったことを見届けた後のことでした。

関連年表

1575年:井伊直政、徳川家康から3百石を与えられる

1580年:井伊直政:ニ万石に加増される

1582年:井伊直虎没

 

次の記事で、直虎の養子・井伊直政の活躍とその子孫たちのことに触れたいと思います。

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