井伊直虎と事件・年表(2)

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おんな城主直虎のあらすじ 感想

井伊直虎にまつわる人物・事件・年表(井伊家の繁栄とその子孫)

養子・井伊直政、豊臣秀吉、徳川家康の高い評価を得る

織田信長の死後は豊臣秀吉が天下をとり、直虎の息子・井伊直政は政治力や武力の点で豊臣秀吉から高く評価され、徳川家康からは家臣団の筆頭格として重んじられました。

直政は箕輪城主に任ぜられた後、小田原征伐や九戸政実の乱でも成果を上げ、1598年には高崎城を築き上げています。

関連年表

1590年:小田原征伐、井伊直正は功により秀吉から箕輪十二万石を授けられ大名に

井伊直政、徳川家の筆頭家臣となる

豊臣秀吉が死去した際には、豊臣家臣団の多くを徳川方に引き入れることに成功、関ヶ原の戦いの際には東軍の指揮官の一人として大いに腕をふるいましたが、島津軍の銃弾を受け大怪我を負いました。

この時、家康は直政の事を、まるで我が子のように心配したというエピソードが残っています。

関ヶ原の戦いが終了した後も、毛利輝元との講和など西軍の主要人物との和平交渉に務め、江戸幕府の立ち上げのために奔走しました。

関連年表

1600年:関ヶ原の合戦

1601年:家康により18万石・佐和山城主となる

1602年:直政没

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井伊家30万石大名へ

直政の次男・直孝は、大坂冬・夏の陣の功績で彦根30万石に封じられ、譜代大名の筆頭となり徳川幕府をさ支える重鎮としての地位を確立します。

関連年表

1633年:徳川家光から30万石に加増

井伊直弼、幕末の大老として活躍

直虎の息子・井伊直政から繋がる家系図からは、井伊直弼の名前を見ることができます。

井伊直弼は近江彦根藩の第15代藩主で、江戸幕府では大老として積極的に日本の近代化を推し進めました。

反対派を安政の大獄で粛清したことから、桜田門外の変の際に暗殺されましたが、明治維新には無くてはならない重要人物の一人とする説もあります。

関連年表

1858年:井伊直弼、大老に就任

1859年:桜田門外の変

井伊家のその後

明治維新を機に大名としての井伊家は終焉を迎えますが、現在でもその子孫は健在です。

直系・掃部頭家(近江・彦根藩)

井伊直政の次男・直孝に始まる井伊直弼の子孫です。

井伊家18代当主の井伊直岳(なおたけ)氏(本名:井伊岳夫)は、彦根市在住。(三重県出身)

彦根市長で井伊家16代当主であった井伊直愛(なおよし)の婿養子にあたります。

兵部少輔家(上野・安中藩)

なお、井伊直政の長男・直勝の家系も井伊兵部少輔家として現在も存続。

現在の当主は、京都にある「井伊美術館」館長の井伊達夫氏(第18代)。

井伊家2代目当主は誰か?

彦根井伊藩の2代目藩主は、直政の長男直継(直勝)と次男直孝のどちらなのか二つの説があります。

どちらも彦根藩主なのだから、直勝が2代、直孝が3代と言う説。そして、井伊家の家督は直孝が継いだのだから直孝が2代、直勝は藩主に数えないという説です。

資料1史料2

井伊直継(直勝)と井伊直孝

長男の井伊直勝は彦根藩2代藩主として兵部小輔を名乗っていました。そして、父・直政も兵部小輔ですから、本来ならこちらが直系のはず。

しかも幼名は万千代で父・直政と同じ。

 

ところが、病弱であったため徳川家康によって上野の国・安中への移封を命じられ、彦根藩は家康の信頼厚かったと言われる弟の直孝が継ぐことになったと伝えられます。

このあたりの事情は色々取り沙汰されていますが、はっきりした事は解りません。

 

安中藩・初代藩主となった時点で井伊家の家督を弟直孝に譲り、井伊直継から直勝へと改名をしています。(この後、三河西尾藩、遠江掛川藩に移封。)

 

その為、直勝の家系は彦根井伊家の傍流とされているようです。

色々史料を読み進めていくと、通常なら直勝(元直継)が彦根藩第2代藩主で当主(1602~1615)、直孝が第3代藩主で当主(1615~)とみるのが順当と思われるが・・・

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京都にある井伊美術館には井伊家ゆかりの甲冑刀剣や歴史資料などが展示されています。
井伊直虎ゆかりの品々展示

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