おんな城主直虎と女武将たちの歴史秘話

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おんな城主直虎のあらすじ 感想

歴史秘話~井伊直虎と比較される女の戦国武将・女城主

戦国時代は男性の武将ばかり活躍していたと思われがちですが、女の戦国武将や女城主もいて、女性でも活躍していたのです。

その中でも代表的な人物と言われるのが2017年NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の主人公・井伊直虎で、徳川家康に従って井伊家を守った人物になります。

そんな井伊直虎と比較される女の戦国武将や女城主にはどんな人物がいるのでしょうか。

甲斐姫

甲斐姫(かいひめ)は、忍城(おしじょう)の城主・成田氏長の長女で東国一の美女と呼ばれた有名な女性です。

生年は1572年とされ、没年は不詳とされていますが甲斐姫に関する歴史資料は決して多くは無く、謎に包まれた存在です。

甲斐姫の父、成田氏長は関東の戦国武将・北条家に仕えた城主で、現在の埼玉県行田市一帯を治めていました。

photo by: news.mynavi.jp

 

美貌と武勇の女性武将・甲斐姫
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甲斐姫はその美貌だけでなく兵法や武芸にも秀でていて、豊臣秀吉の小田原征伐の時、自ら鎧甲冑に身を固め、石田三成らに率いられた豊臣軍に水攻めされた忍城を僅か5百数名の兵たちと守り抜いたと伝えられます。…忍城の戦い(1590年6月16日から7月16日)

この辺りの逸話は、野村萬斎さん(成田氏長の従兄弟・長親役)主演の映画「のぼうの城」でも描かれた通りです。

「のぼうの城」では、榮倉奈々さんが甲斐姫を演じていました。

その後は豊臣秀吉の側室になっていますが、詳しい消息は伝わっていないようです。

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立花誾千代

立花誾千代(たちばな・ぎんちよ)は、筑後国山本郡(現在の福岡県久留米市草野)を治めていた名高い武将の立花道雪の娘であり、婿養子・立花宗茂の正室です。

生年は永禄12年8月13日(1569年9月23日)、没年は慶長7年10月17日(1602年11月30日)と伝えられています。

 

立花誾千代は武芸に秀でた姫として有名であり、夫とはライバル関係で夫婦仲が悪いことでも有名です。

誾千代は立花家の実質の当主で婿取りをしたわけで、「入り婿の宗茂なにするものぞ」の意識が強かったのではないでしょうか?

photo by: 歴史秘話ヒストリア - NHK

 

豪傑・加藤清正も恐れをなした戦国のスーパーガール

自ら甲冑を着て出陣することもあったと伝えられていて、城の明け渡しの要求に反対したなどたくさんの逸話が残っています。

 

極め付けは、関ケ原の合戦の敗戦後、城に立てこもり抗戦を続ける立花宗茂を説得すべく加藤清正が柳川へ向かおうとした時(当時の立花氏は柳川に移封されていた)、「このあたりは誾千代の勢力圏で、このまま進めば命が危ない」と警告され、やむなく迂回をしたという逸話でしょうか。

 

豪傑・加藤清正さえ恐れをなしたという橘誾誾千代の武勇ぶりが計り知れるエピソードです。

吉岡妙林尼

九州豊後の国(現在の大分県)の大名、大友家の家臣・吉岡鑑興の妻の吉岡妙林尼(みょうりんに)は島津との戦いで活躍した女武将であり、夫が戦死してからも砦を作ったり、島津軍に奇襲したりするなど活躍し、鶴崎城で激しい攻防をした事が伝えられています。

吉岡妙林尼の出自や生没年などは不明で、妙林尼に関する記録も殆どありませんが、「大友興廃記」、「両豊記」、「豊薩軍記」などの文書にその名前が登場するとか。

 

2012年のNHK歴史秘話ヒストリアでも紹介された人物です。

photo by: 歴史秘話ヒストリア - NHK

おつやの方

おつやの方織田信長の叔母にあたる人物であり、岩村城(岐阜県恵那市岩村町)城主の遠山景任(とおやまかげとう)の正室であった女性です。

生年は不詳、没年は天正3年11月21日(1575年12月23日)と伝えられます。

実際に女城主であったおつやの方

おつやの方が脚光を浴びたのは武田信玄が美濃・遠江に侵攻した頃のこと。織田信長の家臣であったにも関わらず、武田方に寝返ってしまうという信じられない行動をとったのです。

 

夫の死後は事実上、岩村城(岐阜県恵那市岩村町)の女城主となり、その後武田家の武将の秋山信友と再婚をしてからも女城主として岩村城を長年守り抜きましたが兵糧攻めで和議を結び、甥の信長を裏切ったため処分されました。

 

裏切り者の汚名を着せられた「おつやの方」ですが、そこは戦国の世。

やむにやまれぬ事情もあったのではないでしょうか?

photo by: homemate-research-castle.com

寿桂尼

寿桂尼(じゅけいに)は今川氏親の正室であり、今川義元の生母になります。

生年は不詳、没年は永禄11年3月14日(1568年4月11日)と伝えられます。

 

寿桂尼は、公家の名家・中御門家(なかのみかどけ)出身ですが、今川に嫁いだ後は今川家の勢力拡大に力を尽くし、夫の死後はまだ幼かった嫡男の氏輝に代わって政治的手腕を発揮しました。

その後も家督争いで暗躍し「女戦国大名」とも呼ばれました。

photo by: jinbunpaipu.blogspot.jp

阿南の方

阿南の方(おなみのかた)は伊達輝宗の姉で伊達正宗の叔母にあたる女性です。

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生年は不詳、没年は1602年6月14日と伝えられます。

 

阿南の方は、伊達晴宗の長女として二階堂家に嫁ぎます。

夫と次男が亡くなったあとは須賀川城の城主として君臨し、甥の伊達政宗と争う事になりますが、奮戦むなしく落城を余儀なくされました。

 

このあたりのいきさつは、先述した「おつやの方」のエピソードと相通ずるものがあります。

 

正宗の温情で命は救われますが、不遇の余生を送り1602年6月14日その生涯を終えました。

お田鶴の方

お田鶴の方(おたづのかた)は今川氏の家臣で戦国大名・飯尾連竜の妻であり、夫の死後は浜松の曳馬城の城主となり徳川家康の軍勢と戦って華々しい最期を遂げたと言われています。

生年は不詳、没年は1568年12月と伝えられます。

 

お田鶴の方は侍女と共に戦い討死したと言われていますが、その死に悲しんだ築山御前井伊直虎の伯従母、いとこおば)が塚に椿を植えたところ毎年美しい椿が咲いたため椿姫とも呼ばれるようになったとも。

 

井伊直虎の曾祖父の死(毒殺)に関わった人物としても知られ、井伊家とも因縁の深い女性でした。

 

このように井伊直虎だけではなく、多くの女戦国武将や女城主がいました。

 

史料に逸話を残した女性もいれば、伝説や言い伝えが残っている女性も多く、戦国時代でも活躍した女傑がいた事がわかります。

 

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